今日はちょっとプライベートで、気づかされたことをシェアしたいと思います。
最近、ある出来事をきっかけに、自分の中に
「ちゃんとしなきゃ」
「失礼があってはいけない」
っていう気持ちが、思った以上に根深くあることに気づいたんです。
そして、その「ちゃんとしなきゃ」が、自分を縛っていたことにも…
普段は生徒さんに「完璧じゃなくていいよ」なんて言っている私自身が、気づかぬうちに完璧を求めて動けなくなっていたことに、ちょっと驚きました。
完璧主義って、良いようで実は自分を苦しめることもあるんですよね。
今日は、そんな体験から学んだ「できる方法で、今できることをやればいいんだよ」っていうお話を書いてみようと思います。
「ちゃんとやらなきゃ」で止まってしまった2ヶ月間
「ちゃんとやらなきゃ」って思いすぎて、動けなくなったことありませんか?
私は最近、まさにそれで大切なことをずっと先延ばしにしてしまいました。
去年、父が亡くなったあと、父の友人お二人と再会する機会がありました。
それぞれ86歳と85歳。
杖をついて、わざわざ時間を作って会いに来てくださったんです。
そのうちのひとりは、丁寧なお礼のお手紙を送ってくださいました。
もうひとりは電話をくださったのですが、出られず留守電にお礼のメッセージが残っていました。
…にもかかわらず、私はすぐにお返事ができませんでした。
理由はひとつ。
「ちゃんと丁寧にお礼を返さなきゃ」と思いすぎていたからです。
手紙を書くとなると
- 文章を考えなきゃ
- 字も丁寧に書かなきゃ
- 便箋もちゃんとしたものを使わなきゃ
と、どんどんハードルが上がっていってしまって、先延ばしに。
私は字があまりきれいではないので、手紙を書くことがとても億劫だったんです。
「メールやLINEは使わない」とおっしゃっていたので、「手紙一択」と思い込んでいた私は、どこかで完璧な手紙にこだわってしまっていました。
その結果、ずるずると先延ばしになり、気づけば2ヶ月近く経ってしまっていたんです。
でも、ようやく一通手紙を書いたある日、「もうひとりのお友達には、電話じゃなくてショートメールが送れるかもしれない」と気づきました。
実際に送ってみると、すぐに「ありがとうございます」というお返事が届いて。
そこでようやく気づいたんです。
完璧を目指すあまり、私は「今できるやり方」を見落としていたんだって。
自分にできる方法で今できることをやる、それで十分
この出来事で、あらためて思ったんです。
完璧主義は、ときに自分を苦しめる。
自分にできる方法で、今できることをやる。それで十分。
完璧でなくても、前に進めることが大切。
誰かにきちんと伝えたい、喜んでほしい、失礼がないようにしたい、その気持ちはとても大切だけど、「ちゃんとしなきゃ」の思いが強すぎると、何も動けなくなることもありますよね。
人とのやり取りが、完璧主義をゆるめてくれることがある
講座生さんとのやり取りの中でも、「完璧じゃなくてもいいんだ」ってあらためて感じたことがありました。
ある受講生さんが、講座を販売するための「提案書」を作っていたんです。
その方はいつも、とにかく全力。
180%のクオリティで提出してくれる、努力家の方です。
でも今回は、提出のタイミングが迫っていて「このままだと間に合わないかも」と思い、思い切ってこう伝えました。
「完璧じゃなくていいから、時間内に出して」
するとちゃんと受け止めてくれて、その日のうちに提出してくれました。
その結果、講師陣みんなで添削ができて、すごく良い提案書に仕上がったんです。
もし彼女がいつものように完璧を目指していたら、添削に間に合わず、結果的にクオリティが下がってしまったかもしれません。
最後に
「ちゃんとしなきゃ」
「うまくやらなきゃ」
って思うと、動けなくなってしまうときってあります。
でも、できる範囲で、できる方法で、まずはやってみる。
それで十分なんです。
そうやって少しずつでも進んでいけば、きっとちゃんと届くものってあるはず。
そんなことを感じた日でした。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます。